光清寺通信 山河大地

第73号  2022年12月

 




与謝野晶子氏にしてみれば、劫初(はるか太古の昔)から築き上げてきた殿堂(立派で大きな建物)とは文学の世界を表す譬喩なのでしょう。人類の歴史的事業に自分も参加して、取るに足らない釘の一本に過ぎないけど、しかしそれは光り輝く黄金の釘を捧げて参与するのだ、という歌だと思います。つまり誠意と情熱と探究心とを尽くしたご自身の創作の志を述べているのではないでしょうか。しかしこれは私たちには無関係の話だと思ってはいけません。私たちも単独で生きているわけではなく、家族や友人、知人というそれぞれ小さな歴史の因縁の中で関わり合いながらお互いに影響し合って生きています。適当に自分のことだけ考えて生きるのではなく、関わりの中で尊さや優しさを大事にするような生き方は、周囲の人たちに喜びや希望をもたらす黄金の釘となるに違いないのです。そういうところにこそ生きることの喜びが見出されるのではないでしょうか。







   御正忌報恩講の法話から


 この十一月初旬に三年ぶりに報恩講を勤めることができました。今回の法話は次のような話から始まりました。
 親鸞聖人から四代目にあたる覚如上人は『口伝鈔』という書物を書いています。『口伝鈔』という言葉が示すように、聖人の教えを直接聞いた親族の如信上人から直々に覚如上人は学びました。その『口伝鈔』の中に「人間の八苦のなかに、愛別離苦、これもっとも切なり」と言っています。私たちは人生の中で病気や老いなどさまざまな苦しみを経験しますが、その中で愛する者と死別しなければならない苦しみほど切実なものはない、と言っています。そういう場面に出会ったときは、さらに悲しみをそそるようなことは言わないで、お酒でもすすめて笑うようになるまで慰めて、長居しないですぐに立ち去るべきである、というのが弔うということであると聖人は仰せになったとあります。
 実際、身近な人との死別ほどつらく悲しいことはありません。「死」という文字の左側の「歹」は遺体や遺骨を表し、右側の「ヒ」は嘆き悲しむ人の姿を表しています。文字のなかった太古の昔、家族などの身近な人の死は嘆き悲しむ以外になかったのです。しかしいつの頃からか人間は何らかの儀式をするようになりました。「葬」という文字は「艹」も「廾」も草を表し、遺骨か遺体に草を丁寧に敷いたりして埋葬する、これは儀式をしたことを意味します。そして手を合わせて頭を下げ、何かを祈るという形を取ります。何に対して手を合わせるのか、それはもちろんその遺骨に対してですが、それだけではなくその背後に何か人間を超えた、人間よりもっと大いなるもの、神とか仏という存在を感じて手を合わせていたに違いないのでしょう。そのような歴史の展開の中で仏陀が現れ、仏陀による深い洞察の智慧によって人々は苦しみから解放されるのです。その尊ぶべき教えを伝承し、愛別離苦の悲しみの中でお念仏を称えて、お念仏に導かれて人間は生きてきたのでしょう。
 仏教の教えは仏や菩薩・本願・浄土を抜きにしては語ることはできません。私たちは日常的なさまざまなことについて科学的根拠のないものは信用できないと教えられ、そのことは確かにそうであるに違いない、しかし事実としては証明できないけれど、物語としてしか表せない真実というものがあるということも忘れてはなりません。
 親鸞聖人の生きられた時代には何度も悲惨な天災や飢饉があったことが同時代の『方丈記』に記されています。聖人は九才で得度をしたと伝えられますが、その同じ京都では飢饉で全人口の半数近くの人が亡くなっており、そしてどういう人が先に亡くなっていくかというと、心優しい人から先に、と言っています。どうしてこのような悲惨な目に遭わなければならないかという不条理な現実の問いを前にして、答えられる人は誰もいません。
 物語というと何か架空の作り話を予想しがちですがそうではなく、それは仏陀の悟りが見開いた阿弥陀仏の物語であり、そのことを説いているのが『仏説無量寿経』です。法然上人は比叡山で長く修行をした果てに『仏説無量寿経』の本願に基づく念仏の教えに到達しました。同じような境遇を生きた四〇才年下の親鸞聖人は長い求道の果てにその法然上人の教えに出遇いました。その教えとは、阿弥陀仏の前身であった法蔵菩薩は本願を立てて浄土を建立し、そこへ衆生を往生させることで救いを約束し、どうしたらそこへ往生できるかというと、念仏を称えるというただそれだけで往生する、つまり救われるのです。親鸞聖人はこの物語が表す教えの意味を深く掘り下げて考えました。
 報恩講とは親鸞聖人の祥月命日のお勤めですが、仏教ではふつう誕生日よりも命日を大事に考えます。死は一つの終わりであることは間違いないけれども、終わることによって始まることがある、それは私たちがそれぞれ因縁の中にいただいた人生を尊いものとして受け止めていく大事な契機であり、お念仏を依りどころとして生きることの意味を問い尋ねる場所としての報恩講なのです。
 今回はこのようなお話をいただきました。来年もまた同じ講師に法話をお願いしています。