光清寺通信 山河大地

第69号  2020年12月

 




 これは中国の古いことわざです。禍福(かふく)とは災いと幸せのこと、糾(あざな)える縄(なわ)とはより合わせた縄のように表裏が交互にやってくること、如しとは~のようであるという意味です。つまり人生とは相反する二つのものを編み込んだ縄のようであるとして、不幸なことと幸福は転変するということです。不幸としか言いようのない状況の中に思いがけない喜びを感じたり、あるいは順調に行っている中に落とし穴があったりということをあらわしています。ある門徒さんの仏壇の前に座ると「居安思危(きょあんしき)」と書いたマッチの箱がありました。これは「安に居て危を思う」という中国の故事ですが同じような意味をあらわしています。安楽な暮らしの中にあってもそれを当たり前と思ってはいけない、いつ何が起こるかわからないのです。今はコロナ禍の中にあって、本当に大切なものは何かを見直していく時ではないかと思います。





      あること難き今日を生きる


 私はずっと以前にご縁のあった一人の説教師から

   すべての人に今日がある
   あること難(かた)き今日である

という揮毫をいただいたことがありました。そのことを最近思い出して考えています。
最初にこの言葉を見たときには別に何も思うことはありませんでしたが、ずっとこの言葉は心の中に刻まれていました。「すべての人に今日がある」とは自分だけに今日があるのではない、すべての人に平等に今日が与えられているということです。そして「あること難き今日である」とは、私にとってのこの今日はかけがいのない尊い命の時間をいただいている、ということをあらわしています。

 「ありがとう」という言葉は人からものをもらったり、優しくしてもらったりしたときに言うお礼の言葉です。その感謝の気持ちを表すのになぜ「ありがとう」と言うのでしょうか。私たちは子供のころから意味がわからなくてもそういうふうに言うことを教えられました。しかし言葉が表す意味は「あること難い」ということで、〈めったにない〉ということです。つまり、あり得ないことが今ここに起こっているということ、生きていることの驚きと感動をあらわす仏教用語が知らないうちに日常生活の中に溶け込んでいるのです。案外、何気なくふつうに使いこなしている言葉でも、言葉の意味を尋ねられるとよくわからない、ということが以外とあるようです。

 寺の法要で法話が始まるときにいつも拝読する言葉があります。「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。・・・」、これは人としての身を受けたことの喜びを言い、そして仏教の教えに触れたことの喜びを述べる言葉です。「ありがとう」の反対は「あたりまえ」だと言った人がいますが、当たり前の日常ではない、かけがえのない今日を生きていることを知らされるのが仏教の教えであることをあらわしています。

 人間は二度生まれるという話を昔、何度か聞きました。一度目は赤ちゃんとしてこの世に誕生する、これは文字通りの誕生で誰でもわかります。わかったようでわからないのが二度目の誕生です。一人前になって自立することなのか、還暦になって赤い服を着ることか、あるいは何かもっと違うものなのか、はっきりしません。でも仏教の教えを通すと少しそのことの意味がわかるように思います。

 私たちは自分というものを中心にして生きています。これは何も悪い意味で言っているのではなく、事実そうなのでしょう。私たちは自分がどのように生きていくかということを自分で決めなければならない責任があります。みんながそうしているからとか、昔からそうだから、ということに全部身を任せてしまっては、誰が生きているのかわからないことになります。そうすると後になって「こんなはずではなかった」と後悔と怨みだけが残ります。

 仏教は自分というものを本当に大事にする教えなのです。ただその自分とはどのような自分なのか、ということが問題です。ふつうは遠い過去から未来にわたってずっと変わらない確固たる自分というものがあって、その自分が願ったとおりの道筋を生きていけるところに本当の人生があるはずだと考えがちですが、それは真実ではないと仏教は教えます。他の人やものごとにこの自分が左右され振り回されるのではなく、他との関わりにおいて自分そのものが変わっていく、それが事実としての私であります。他と関わることでこの自分がどう思うようになり、どのようにするかというところに、生きることの本質があるのです。

 仏教は縁起の教え。人間は他との関わりあいにおいて事実としての自分があるのです。ところがこの自分とは自分のことしか考えない煩悩の身でありながら、その身がお念仏のご縁をいただくことで、いただいた命を大事に受けとめていかなければならない存在として、第二の誕生を果たしていくのではないかと思います。