光清寺通信 山河大地

第67号  2019年12月

 



 榎本栄一という人は大阪で化粧品店を営みながら仏法に出会い、生涯にわたって聞法を続けられ、その中でたくさんの念仏の詩を残されました。人間は誰しもものごとがうまく行くと調子に乗って有頂天になり、思い上がりの心が起こります。しかしそれは決して長続きはせず、思いどおりにならなかったりして落ち込むのが現実です。けれどもまたちょっとうまくいくと調子に乗るということを繰り返します。この詩を読んでいて、「落ちたうぬぼれは」という言葉に私は惹かれました。普通なら、うぬぼれの心は消え失せたと言いそうですが、本当にそうだろうかと念仏者は問い返します。消えてなくなったようにみえるうぬぼれの心のもとというか、その根本はなくならない。だからまた性懲りもなく、状況が変わると思い上がりの心が起こってくる私である、それが本当の私の姿であるという自覚を忘れないのです。





    病気をとおして学んだこと

 私は今まであまり大きな病気はしたことがありませんが、四十年くらい前にある忘れられない経験があります。
 大学を卒業する少し前のことでした。一月の下旬で大学の授業も終わりしばらく気楽に過ごしている期間がありまして、先輩から誘われて町へ飲みに行きました。その年の京都はたいへん寒く、夜遅くまで飲んで身体が冷えたのでしょうか、身体の震えが止まらないくらいにひどい風邪にかかってしまいました。病院に行って薬をもらい、一週間くらいかかってようやく治ったかのようにみえましたが、完全には治りません。
 微熱が続き、のどの痛みが取れず鼻水も続いていて、やがて京都の下宿を一人で引っ越さなければなければならない状況で、なんとしてでも治そうと自分なりにかなり努力をしましたが一向に治りません。仲のよかった友達はみな帰省してしまって頼りになる人は誰もいない、不安な日々を過ごしました。そのような状態が一ヶ月以上続いて、しかたなく体調の悪い中でどうにか引っ越しを終えて九州の実家へ帰りました。そして地元の病院に行ってそのことを告げると、アレルギーかも知れないということで検査をすると杉の花粉症だと判明しました。

 今では毎年、花粉症はニュースの話題になりますが当時はまったくと言っていいほど知られていません。その当時、医者から「原因は判明したけれど、これには治療法はありません」とはっきり言われました。つまりこの病気は杉の花粉の時期が終われば治るけれども、アレルギーだからその期間中は我慢するしかないというのです。それから後は年によって違うけれど、二月くらいになると憂鬱な状況が続き、さまざまな治療を試してみたけれどどれも駄目で、結局は我慢するしかないということでやって来ました。ところが二十年くらい前でしょうか、たまたま病院に行ったときに症状を抑えるいい薬があるということで、その薬によってかなり症状が落ち着きました。それ以降はずっとその薬を服用し現在に至っています。近年ではその薬(アレジオンなど)は一般薬局でも売られています。
 この四十年ほど前の経験で、原因不明の病状が続き、大きな病院に行くほどの症状ではないけれど治らない状態が続いたことで、私としてはかなり精神的にも参ってしまったのです。そして医者の診察で、治らないけれども原因はわかった、ということで花粉の時期が過ぎれば治るのだという確信と、「治らない」のであれば治すための無駄な抵抗をしても駄目だということです。これは、治すことはあきらめるしかないけれどもその現実のままに生きていくしかないのだ、といういわば開き直りですが、少し前向きな気持ちが起こりました。

 それから後になって仏教のある先生がお念仏の教えの例え話で「人間がかかる病気は二つしかない。それは治る病気か治らない病気であってそれ以外にはない。治る病気は医者にかかって治るかもしれないし放っておいても治るかもしれないが、治らない病気は治らないのだから、それが自分の本体だと思って生きていけばいい」と言われました。そのときに私は少しですが、念仏の教えが具体的に納得できたような気がしました。

 親鸞聖人の教えとは、お念仏を称えることによって、煩悩具足の凡夫が立派な人間になって救われるのではなく、煩悩具足の身をのままで救われる、という教えです。煩悩具足とは苦しみ悩みの種を欠け目なくこの身に備えているということです。苦しみや悩みの本当の原因は外にあるのではなく内にある、だから外側の状況が少し変わっても基本的には解決しないということです。そのような苦しみの種を抱えている私がそのままで救われていくのがお念仏の世界です。私に降りかかる問題は次から次へと姿形を変えて起こってきます。そのような私が、いただいた命を大事に最後まで尽くすことができるのがお念仏の世界だと思います。