光清寺通信 山河大地

      第61号  2016年12月

 



 「真面目に努力しなさい」という教えを私たちは聞いて育ってきたのではないでしょうか。真面目に努力することは人間として生きていく上で大事な教えだと言えます。仏陀のこの言葉はその前半に大事なことが述べられています。普通は、真面目に努力すればきっといい結果がもたらされる、だから努力することはいいことだと。しかし現実は必ずしもそのようにはならない場合があったりして、裏切られた気持ちになれば、努力することが無意味だということになるのでしょう。仏陀の言葉は、あらゆる状況は常に変わっていく、それが真実の道理である、努力が報われるとは必ずしも言えない、それでも自分に与えられた仕事を、自分にできる役割を誠実にやっていくことが大事だと言っています。この仏陀の最晩年の教えは悟りの智慧から出た、尊い言葉ではないでしょうか。





    お釈迦様のお話

 お釈迦様についてのお話をいろいろと読んでいて思うことですが、お釈迦様といえば悟りを開かれた人であり、それはあらゆる人生の苦しみから解放された人なのです。その悟りとはどのようなものか、これは私たちにはどうしても手の届かない世界であるとしか言いようがありません。
 悟りそのものの内容は横に置いておくとして、お釈迦様は三五才で悟りを開かれてそれから八〇才で生涯を閉じるまでの四五年間、いったい何をしていたかというと人々にその教えを説くことに人生を捧げられました。どのような境遇の人たちにどのような教えを説かれたのでしょうか。その一端を見てみたいと思います。

 パターチャーラーという女性の話です。この人は大富豪の商人の一人娘で美しく、両親の深い愛情を受けて誰もが羨む幸せな境遇で生まれ育ちました。年頃になって多くの良き縁談が持ち込まれたのですが、パターチャーラーには恋人がいました。それは身分の違う使用人のチンダという若者だったのです。当時のインドの社会では身分の違う人との結婚は絶対に許されないことだったのですが、二人は駆け落ちをしてしまいます。チンダはよく働き幸せな日々が続きますが、二人目の子供が生まれて間もない頃、チンダは毒蛇にかまれて突然亡くなってしまいます。悲嘆に暮れるパターチャーラーは二人の子供をかかえて行く当てもなく、仕方なく実家に帰ることにします。大雨が降って増水した川を、二人の子供を連れて渡らなければならないことになりました。しかし同時に二人の子供をかかえて渡るのはあまりに危険なので、一人ずつかかえて渡ることにします。
 三才になる息子に「坊や、いいかい、よくお聞き。お母さんは赤ちゃんを先に向こう岸に渡すから、ここでじっと待っているのだよ」といい、赤ちゃんを抱いて川を渡りはじめます。中ほどまできたときに、空から大きな鷲が舞い降りてきて一瞬のうちに赤ん坊をさらわれてしまい、パターチャーラーは両手を挙げて叫び声をあげました。それを聞いた岸辺の子供は、母親が早く来いと呼んでいると思って川に入り、一瞬のうちに濁流に呑まれて流されてしまいました。
 夫を失い、目の前で二人の子供を奪われたパターチャーラーは半狂乱となり、この上はせめて親不孝の罪を両親にわびて死にたいと思い、一人とぼとぼと旅を続けます。そして懐かしい故郷が近づき、通りがかりの人に実家のことを尋ねると、昨夜の大雨で崖が崩れて家もろともに両親とその息子である弟も下敷きになって死んでしまったことを知らされます。一夜の内に愛するすべての者を失ってパターチャーラーは気が狂ってしまい、半裸状態で町をうろつき回っていて、たまたまお釈迦様に出会います。

 お釈迦様はいったいどうしてこのようなことになったのか、その理由をしずかに尋ねました。すると彼女もだんだんと落ち着きを取り戻して、それまでのいきさつを語りはじめました。これに対してお釈迦様は「かわいそうだが、それを元の状態に戻してあげることはできない。しかし、お前をいまの苦しみから救うことはできる。私のサンガ(出家教団)に来なさい。私のサンガには様々な苦しみを抱えてやってきた人がたくさんいるから、お前もそこに入って修行するがよい」とおっしゃいました。かくしてパターチャーラーは髪を落として比丘尼(女性の出家僧)になり、やがて悟りを開くことができたというお話です。
 
 家族を失い狂乱する彼女の話をしずかに受けとめ、お釈迦様は狂乱せずにはおれない彼女の境遇に共感しつつ、起こってしまった現実から逃げることなく、現在の苦しみから立ち上がっていく道筋を示しました。悟り、それはものごとの真実の道理を見開かれたお釈迦様の深い智慧と慈悲から出てくる言葉です。出家してお釈迦様のサンガに入り、修行して悟りを開くとは、彼女にとって本当の救いを意味します。

 お釈迦様がどのようにして悟りに達したかではなく、悟りを開かれたお釈迦様がさまざまな苦しみに沈む人に対してどのような教えを説いたか、そしてその教えの根本にあるものは何だったのか、を徹底的に親鸞聖人は明らかにされたのです。