光清寺通信 山河大地


第41号  2006年12月




 あるとき車の中でラジオを聞いていたら「入眠儀式」ということを話していた。夜なかなか眠れない人がいる、寝よう寝ようと思えば思うほど目は冴えてくる、ぐっすり眠れないと朝の目覚めが悪いばかりでなくその日は一日中の気持ちも晴れない、それが何日も続くと気分まで滅入ってしまう、そういう人のための話である。
 話をしていた人は精神科医だったようだが、眠れないで困っている人はこのようなことを試してみてはどうか、ということだ。まず寝る時間をあまり変えないこと。そしてその二・三〇分前から眠りに入る適当な儀式を行うこと。たとえば毎日寝る前に必ず本を一〇分読むとか歯を磨くとか、簡単な体操をするとか、とにかく毎日決まったある動作をして布団に入る習慣をつくる。その動作をすると「これから寝るんだ」と身体が覚えてしまう。それを「入眠儀式」というらしい。自然にそういうことをやっている人はむしろ多いし、規則正しい生活とはそのようなものだ。
 そこで考えたことだが、人間にとって身体というものは同じことの繰り返し、あまり大きな変化のない生活こそが安定した身体の状態を生み出すのであろう。しかし一方で私たちの心というものは、その反対の方向に向いているのではないだろうか。退屈な日常の繰り返しよりも変化のある生活、もっと新鮮な気持ちにさせてくれるような会話、おもしろいテレビ、美味しいものを望まない人はいないだろう。しかしそこで身体にも相談して身体の方はどういうことを望んでいるか、ということにも耳を傾けることの大切さを忘れてはいけない。